「中華民国」は国でもなんでもなかった。辛亥革命とアーバンチャンピオン
2ndシリーズ⑦「平和ボケ」日本の幕開け
こういう状態に対して、日本としては二つの路線の外交策がありました。一つは、「放っておこう」という路線です。できるだけ干渉しないでおこう、満鉄だけ守っておけばいいでしょうという路線で、これはつまり英米露と協調しながらやっていこうという外交策です。当時は、外務省がこの路線でした。もう一つは、積極的に軍事介入しよう、という路線です。現地にいる関東軍は、目の前の無法地帯を何とかしたいので、軍事介入をしたがります。ただし、満
洲事変までは主流ではありません。
そもそも、日露戦争で勝った日本は何をしたかったのか。朝鮮のみならず、本音は満洲からもロシアを追い出したいのです。しかし、日露戦争では望外の勝利とは言いながら、南満洲までしか進出できませんでした。そこで、実質的には北満にロシアが居座るのを認めつつ、形式的には「ここは清朝の主権下にある」ということを認めさせたのです。これを主導したのが伊藤博文です。
ところが、清朝はなくなりました。辛亥革命がおきて、翌一九一二(明治四十五・大正元)年元旦に中華民国ができます。
こういった場合、国家継承という現象が起こるのが普通です。中華民国が旧清朝の領土を継承することを外国から承認されて、国家承認ということになります。
ただし、外国に承認してもらうためには条約遵守能力がなければいけません。「オタクの国に行ったときには、ちゃんとオタクの政府が安全を守ってくれますよね。だからパスポートを発給できるんですよ」という約束を守れるのが、条約遵守能力です。
ところが、中華民国のいかなる政府も、他の満蒙回蔵の四つの民族どころか、支那本土すらまとめられる人がついぞ出ません。最初の孫文、袁世凱から、最後の蒋介石にいたるまでまったくだめです。ここに大きな問題がありました。
辛亥革命の後、中華民国が建国され、事実上無法地帯になっているものですから、日露英列強は自分の勢力圏は自分で守ろう、ということになります。そしてそういう混乱状態のところに乱入してきたのが、アメリカです。
ここに、ウッドロー・ウィルソンという大統領が登場します。つけられたキャッチフレーズが「宣教師外交」です。自分が頭のなかで考えた正義だけをふりかざします。
中華民国は、支那本土すら治安維持できないくせに、「清朝の領土は全部オレのものだ」と言い張ります。国家承認は領域承認ともなるものですが、承認しろと言われても、そもそも治安維持ができていないわけですから、無理な話です。この状態を「主権喪失状態」といいます。統治権が欠如している状態です。つまり、中華民国は国ではありませんでした。支那本土では、歴史上、五胡十六国や五代十国といった分裂混乱状態がたびたび繰り返されます。あれと
まったく一緒です。そんなチャイニーズを甘やかし続けるのが、ウィルソンです。
組織体制として王朝ではないので、軍閥混戦という言葉で呼ぶわけです。学校の歴史試験用に日本人は、歴代王朝に続けて「明・清・中華民国」と覚えますから、大方の人は中華民国を国だと思っています。孫文が勝手に国だと名乗っていただけで、別に国でもなんでもありません。
(『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋)
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